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更新日:2025年8月25日

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宇喜多秀家(うきたひでいえ)

このページでは、垂水市とゆかりのある戦国武将・宇喜多秀家を紹介しています。

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宇喜多秀家(忠義に生き、波乱の人生を歩んだ五大老)

秀家は安土桃山時代の戦国武将です。1572年に誕生、1581年に父・直家が死去し、幼くして家督を相続しました。

毛利征伐のため出陣してきた羽柴秀吉(豊臣秀吉)に気に入られ、1582年「本能寺の変」の後、天下取りに乗り出す豊臣秀吉を積極的に助けます。

幾多の戦いに功を挙げ、天下統一後には、備前国、美作国、播磨国西部と備中国東半の57万4,000石の大大名になりました。

文禄の役(第1次朝鮮出兵)での実績も認められ、権中納言、五大老の一人に任じられています。

1590年に岡山城(烏城)築城を開始し、近世的な城郭構想に基づき、城下町の建設にも着手、商工業の人々を城下に集めて基を築き、今の岡山県、岡山市の発展に尽力しました。

天守閣の落成は1597年と言われていますが、この城は豊臣秀吉の大坂城、毛利輝元の広島城とともに大型近世城郭の先駆をなし、当時としては大変大きな建造物となりました。

垂水市と宇喜多秀家の関係

1600年の関ケ原の合戦では、西軍の副大将を務めましたが敗れ、徳川方の追及を逃れて島津義弘を頼り、薩摩へ着きます。

ともに戦った世に名高い「敵中突破」の島津義弘は、垂水市の牛根の豪族「平野家」に命じ、秀家は山腹の小高いところにある平野家上屋敷に匿われることになります。

追手がかかればすぐに裏の鹿倉峠に逃げられるようになっていたそうです。

なお、海辺の下屋敷は海路外敵の見張り所としました。

潜居跡地は、今も平野家の子孫や地元の方によって守り続けられ、毎年追善の神事が欠かさず執り行われています。

垂水市で過ごした1601-1603年

秀家公は牛根に匿われていた2年3か月(820日)の間、家臣や領民の今後を案じ、また、その安泰を願って毎日約3キロメートル離れた居世(こせ)神社に参拝されたと言われています。

島津家では秀家の助命を嘆願しましたが許されなかったため、幕臣である本多正信等を介して罪の軽減を願い出ました。

その結果、徳川家康は「これは島津の面目をつぶさぬ為に赦す」と言ったとされています。

また、次のような句を詠んでいます。

「うたた寝の、夢は牛根の、里にさえ、都忘れの、菊は咲きけり」

仮寝の夢の中において、牛根の里にさえ都忘れの菊が咲いていた。

この句は都のことを忘れられない思いが表現されており、秀家公の岡山への気持ちに加え、家臣や領民への深い愛情が伺えます。

その後

1606年、秀家公は2人の子どもとともに八丈島に流され、以後、本土に戻ることなく、関ヶ原を戦った大名としては最も長く生き、1655年に死去しました。。

この時代にあって身長170センチメートル、眉目秀麗、登城するだけで女性たちが騒いだという逸話もあるそうです。

「備前宰相」と言われ、義に厚く、頭脳明晰で領民に優しかった宇喜多秀家は岡山をはじめ、ゆかりのあるまちにとっても誇りです。

ゆかりの場所

潜居跡

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義弘から秀家を匿うように命を受けた平野家は、自分達の住まいの上屋敷を明け渡し、自分達は海辺の警護を兼ね下屋敷へ移りました。

秀家は平野家に伝わる経典や書に親しみ、桜島や錦江湾奥を望む平野原の山頂(展望所)に上ったそうです。

また、壇ノ浦の合戦後、平野家一族を追ってこの地に現れた源氏の刺客とされる7人を供養した「七人塚」や、ここから約3キロメートル離れた「居世(こせ)神社」にも日参されたと言われています。

比較的穏やかに日常を過ごすことができたのも、平野家の屈強な15人と土地の郷士7~8人が強固な監視兼警護に当たり、徳川家康の厳しい追及から守ったからと考えられます。

展望所

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潜居地跡から10分ほど登ったところに展望所があります。桜島と錦江湾が織り成す景観を秀家も御覧になられていたことでしょう。

七人塚

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平野家一族を追ってこの地に現れた源氏の刺客とされる7人の霊を慰めるために作られた「塚」です。

平野家はこの塚を代々管理され、今でも手厚く供養されています。

居世(こせ)神社

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潜居地跡から約3キロメートルの位置にある居世(こせ)神社。

秀家は毎日参拝されたと言われています。

牛根を去る際に、身の回り品を献上したと記録に残っています。

平野家(下屋敷)

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現在でも平野家の子孫の皆様がお住まいです。

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垂水市教育委員会社会教育課文化スポーツ係

鹿児島県垂水市田神2750-1

電話番号:0994-32-7551

ファックス:0994-32-7554

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