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| 垂水島津家墓地(垂水市指定文化財) |
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7代久治はよめじょ川疎水(そすい)工事に着手し、9代貴儔(たかとも)の時代に完成、享保5年には柊原村、野里村を合し、家禄18,000石となりました。また、垂水市の商店街が出来たのもこの頃です。 また、徳川将軍11代家斉の御台所、茂姫(廣大院(こうだいいん))の祖母は貴儔の長女都美(とみ=本家25代重豪(しげひで)の母)です。 藩政時代、垂水は学問が大変盛んで10代貴澄は安永5年、学問所「文行館(ぶんこうかん)」を創設しました。 14代貴敦(たかあつ)の正室、八百姫(やおひめ=於朝(おあさ))は重豪の13男の八戸藩、南部信順(なんぶのぶゆき)の娘ですが「篤姫」より前に徳川13代家定の嫁候補に上がった人です。15代貴徳は市内の各小学校長を務めています。16代貴暢(たかみち)は維新後男爵になりました。 垂水島津家は一門家として最上位の家臣として本家を支え、屋敷も鶴丸城に最も近い旧県庁(今の県民交流センター)の場所にありました。 |
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垂水市教育委員会 |
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徳川将軍に薩摩から2人が嫁いでいますが「篤姫」と11代将軍家斉の正室「茂姫(しげひめ)=廣大院(こうだいいん)」です。 家斉は子宝に恵まれ(53人は歴代将軍中トップ)、しかも長寿でした。 大奥は既に2名の奥方を亡くしている13代将軍家定の後妻を家斉夫妻にあやかり、島津一族からと考えます。 最初に話が来たのが島津本家25代重豪の13男で八戸藩南部信順の娘、八百姫(於朝)です。 茂姫の父も重豪ですので 八百姫は茂姫の姪に当たります。茂姫に血縁上近い八百姫は最有力候補 とされたのです。しかし八戸藩では将軍家への入室については将来への諸状を案じてか八百姫を垂水島津家14代貴敦(たかあつ)へ嫁がせます。結局、後の数名の候補達も決まらず今和泉家の於一(おかつ=篤姫)に落ち行き、その後の彼女は波乱の生涯は送ることになります。 八百姫は明治10年、西南の役の年に亡くなりました。 垂水市上犬之馬場の垂水島津家墓地内に貴敦公と八百姫は静かに眠っています。 |
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垂水島津家14代貴敦公の正室となった八百姫の墓 |
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垂水市役所 |
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